カンボジアの首都プノンペン。屋台からカフェ、食品スーパーまであらゆる場所で目にするのが、レジ脇に置かれたQRコードだ。「支払いはいつもの銀行アプリで」買い物客は次々とスマートフォンをかざして支払いを済ませていく。先進的な決済文化を支えているのが、中央銀行であるカンボジア国立銀行が2020年に導入したデジタル通貨決済システム「Bakong(バコン)」だ。その中核は複数の民間銀行のシステムをつなぎ、相互の情報を瞬時にやりとりする仕組み。スマホユーザーなら誰でも使えるQRコードの統一規格を創設することで、いつでも誰でもが実現した。
24年のバコン経由の取引額は前年からほぼ倍増し、1506億ドル(約22兆円)に膨らんだ。国境をまたぐ決済にも多用された結果、バコン取引はカンボジアの年間国内総生産(GDP)の約3倍に届いた。特筆すべきは6億件に達したバコン取引の半分を現地通貨リエル建てが占めること。ドルに追いやられ、市民の間でほとんど使われなくなっていたリエルがデジタル戦略の成功でよみがえろうとしている。
通貨リエルの軌跡はこの国の苦い歴史と切り離すことはできない。1970年代、極端な共産主義を掲げるポル・ポト政権は資本主義の象徴であるとして、貨幣制度や中銀を廃止・閉鎖するという愚挙に出た。長きにわたる内戦を乗り越えた90年代以降はドルを受け入れることで外資を呼び込み、経済の再生を図った。ただし、ドル依存には副作用もつきまとう。「ドルに固執し続ければ、リスクにさらされやすくなる」44歳でカンボジア中銀を率いる女性リーダー、チア・セレイ総裁は語る。79年に再開した中銀で総裁を務めた父をもつ「2世」の目に焼き付いたのは、ドルや米国に翻弄されやすい経済のもろさだった。
だからこそ、リエル復活にこだわった。セレイ氏の信念に基づく戦略を支えたのは、いわば、持たざる強みだ。まずは技術。一つの国の通貨の話となれば、本来その国の企業や技術者が中心になる。しかし、一時は崩壊の憂き目を見たカンボジアに専門家は乏しく、ノウハウは外国頼み。バコンの基盤技術の開発は日本のフィンテック企業ソラミツが最新技術「ブロックチェーン」で腕を振るった。そして、一定以上の年齢層が乏しいいびつな人口ピラミッド。70年代の虐殺や内戦で多くの国民が犠牲になった悲しい過去の裏返しとして、現在の国民の平均年齢は27歳という若さだ。新しいモノへの感度が高く、デジタル技術が普及しやすい素地を生んだ。
「バコンは裏方の決済で、民間銀行と競合はしない」セレイ氏らはバコンの仕組みと民間銀行の役割分担を丁寧に説明。ドルとリエルの両方を利用できるようにしたうえで、QRコードを統一すると、水が低きに流れるようにバコンが普及していった。バコンを通じた自国通貨の流通量の増加は金融・経済政策の安定にもつながっている。
米国と中国という大国のはざまで生き抜こうとする国は数多い。リエルの復活は一つの道を拓く。
(参考 日経新聞 令和7年9月24日より)
カンボジア通貨リエルは死なず
