AIと雇用 大規模な失業リスク 備えを

日本では今後、少子高齢化の進行によって人手不足が深刻化すると一般的には考えられている。だが、10年後にはむしろ人余りによる深刻な失業問題に直面しているかもしれない。人工知能(AI)が生産活動のあり方を抜本的に変革する可能性があるからだ。変革の兆しはすでに表れている。コンピューター上の様々な作業をこなすAIエージェントが実用化されつつあるが、なかでも言葉による指示だけでプログラムを作れる「コーディングエージェント」の進歩は目覚ましい。そのため米国では新卒学生の就職が難しくなったと指摘されている。

だが日本では、対照的な現象が起きている。一部のIT企業は新人研修で、可能な限りコーディングエージェントを使ってプログラムを作るように指導している。その半面、熟練プログラマーの中途採用を大幅に減らすという。これまでも日本ではデジタルネーティブと呼ばれる若手人材を取り合う一方で、ITリテラシーが低い中高年を切り捨てる傾向にあった。早期退職を促す形で「隠れたIT失業」が静かに進行しているのである。AIエージェントの発達は、そうした傾向をますます強めていくだろう。それはまた、ホワイトカラーにおいてAIに指示することが労働者の主な仕事になり、AIを使いこなすだけの人材もいずれは危うくなるだろう。

AIに的確に指示を出して方向性を調整しながら、アイデアを新しい商品やビジネスの形にする「ディレクション力」が問われるようになるからだ。優れたディレクション力を持つ人材は、AIを活用して従来の数十人分の業務をこなすようになる。経済全体の生産性が飛躍的に高まる一方、平均的な労働者は職を得にくくなり、大規模失業が発生するリスクが浮上する。

AIがいずれ深刻な失業問題をもたらすという予測に対し、これまで多くの経済学者が否定的だった。蒸気機関などの機械を導入した産業革命期にも技術的失業が取り沙汰されたが、結局一時的な問題に終わった。そのため、AI失業もさしたる問題にはならないと予測してきたのである。しかしAIは従来の機械と同列に扱う事ができない。蒸気機関がどんなに進歩しても人間のように振る舞うようにはならないが、AIは進歩するにつれて人間に近づいていくからだ。

産業革命は、資本集約度(生産にどれだけ機械などの設備が使われているか)が大幅に上昇するような変化だった。例えば革命以前は職人が手で布を織っていたが、革命以降は織り機で織るようになった。生活活動における機械の重要性が劇的に高まったのである。それに対してAI革命は機械と人間の代替の弾力性(置き換わりやすさ)が限りなく上昇していく変化だ。AIの生産能力は次第に人間に迫り、多くの労働者を置き換えていく。その先に、人間と同様に様々なタスクをこなす汎用人工知能(AGI)の出現がある。

人間は汎用的な知性を持つため、仕事が機械に取って代わられても別の職業に移り、新しい技能を身に付けることができた。それゆえに機械全体と労働者全体の代替の弾力性はそれほど変化することがなかった。ところがAGIは、人間それ自体と代替的だ。AGIが普及した経済では、労働移動しようにもそこかしこでAGIが活躍していて、人が入り込む余地が限りなく狭まってしまう。

AIによる大量失業時代は目前まで迫っているかもしれない。2024年にノーベル物理学賞を受賞したジェフリー・ヒントン氏は23年に、5〜20年後にAIの知性が人間を超える可能性があると述べている。最近はAGIが27年に出現するという予測も増えている。米オープンAIの元研究者による未来予測「AI 2027」は代表例だ。

しかしAGIが多くの作業を担い得るにしても、商品開発やビジネス構築といった新規の価値判断を必要とする仕事は、人間が担い続けるとも考えられる。たとえばAIだけで「孫の手」を開発するのは難しい。AI(ロボット)は背中がかゆくならないからだ。「背中がかゆいけどかきにくいので、そのための道具が必要である」という判断を人間抜きにAIが下すことはできないのである。

ディープラーニング(深層学習)を基礎にした現在のAIシステムは、局所的には人間の神経系の構造に類似しているが、脳の丸ごとのコピーではない。そのようなコピーは「全能エミュレーション」と呼ばれ、実現は22世紀になるとの予測が有力だ。私たちは複雑な構造を持つ脳だけでなく、身体に基づいた感性によって価値判断を行っている。それに対してAIは人間が過去に生み出したデータの集積によって価値判断を行う。つまり、価値判断の源泉は人間が提供しているのである。

たとえAIがAIなりの価値判断をできても、人間の感性とかけ離れていてはあまり役にたたない。AIの暴走が懸念されるのもそのためで、過去のデータにない新規の価値判断は人間が担うべきである。したがって新しい商品やサービスを生み出すディレクションはもっぱら人間の仕事として存続する可能性が高い。

それでは今後ビジネスパーソンとして生き残るためディレクション力を高めるにはどうしたらいいのか。まず、自らの不平不満を大事にすることだ。「背中がかけない」という不便を感じたらすかさずメモに記す。そのうえで、どのような商品・サービスがあれば解決できるのかを考える。もちろんAIと議論して思考を深めることは有効だ。一方でベーシックインカム(最低所得保障)のような制度が整備されなければならない。全ての人がこうした仕事をこなせる時代に、みながらあくせく働くべきだとは考えられないからだ。

なお失業を恐れてAIの導入を遅らせる国は世界から置いていかれるだろう。AIなどの機械に直接的な生産活動のほとんどを任せられる国では理論上、経済成長率が年々高まるからだ。こうして発生するAI後進国とAI先進国の分かれ目を「AI時代の大分岐」とよぶ。

米国の歴史学者ケネス・ポラメンツ氏が提言した産業革命期の「大分岐」では機械を大々的に導入した欧米諸国と、そうでないアジア・アフリカ諸国の間で経済的格差が著しく拡大し、前者が後者を植民地にした。今後はAI先進国がAI後進国を収奪するようなことが起こりかねない。日本は国を挙げてAIの研究開発と普及を促進しなければならない。「AI専用の巨大データセンターの建設」「世界的なAI研究者の招聘」「AI専用研究所の設立」「AI人材育成のための教育改革」等に早急に取り組むか否かが、日本の運命を大きく左右するだろう。

(参考 日経新聞 令和7年10月3日より)