父が急逝、主婦から社長に

事業承継には5年から10年はかかるといわれる。後継者が経営の知識や経験を蓄え、社員や取引先らと関係を築く時間が必要なためだ。では、準備期間がないまま継ぐ必要に迫られたときはどうすべきか。

主に官公庁やインフラ企業向けに、側溝や水路、護岸ブロックなどコンクリート製品を販売製造する「大和クレス」の社長、林美佐さんは、元は専業主婦。経営経験もゼロからのスタートだった。
2代目社長の父の長女として生まれた。当時、業界は男性ばかり。4つ下の弟がおり、会社を継ぐとは考えたことはなかった。気が強く、簡単に引かない性格だった。高校生のころ父が「男の子だったらな」とつぶやいたことを覚えている。

神戸市内の女子大を卒業後、建設コンサルティング会社や医療事務で15年ほど働いた。2012年に結婚して岡山市に戻ると、仕事を辞めて専業主婦となった。14年には娘が生まれた。
それから3年ほど経ったある日、大きな病気をしたことがなかった父が「気持ちが悪い」と言い出した。病院に行くとそのまま入院し、医師から「心臓が3日しかもちません」と告げられた。数日後、父は痛みに苦しむようになり、母と相談の末、鎮痛剤を打つことを決めた。

父には嘘をついた。「この薬でよくなるからね。しばらくは眠ることになるけど言っておきたいことある?」と聞くと、母には「ありがとう」自分には「会社を頼む」と言った。
「なんで私に?」父は眠りにつき、入院から1週間で静かに息を引き取った。67歳だった。突然のことで、会社誰が継ぐか全く決まっていなかった。

役員からは手が挙がらず、別の仕事に就いていた弟も継ぐつもりはなかった。自分が社長になる姿を想像した。会社に関わったことはなかったが、「家族が継げば、祖父も父も喜ぶのでは」との思いがあった。
反対の声も大きかった。「銀行にはなめられる」「お前が入社したら辞める」役員からは厳しい声があがった。不安に思う気持ちも理解できた。既に社員として働いていた夫がいったん社長となり、自身は事務職として入社。午前は総務、午後は営業として働き、とにかく勉強した。

業界の知識はなかったものの、祖父や父の考え方が染みついていた。父たちならこう言うだろうという言葉を口にすると、社員たちは「懐かしいな」「先代みたいだ」と顔をほころばせた。歩き方は短気なところもそっくりだと言われた。
やがて、自分がやるしかないと決意を固めた。19年に社長に就任した。

トップダウン型だった経営まではまねできない。社員を巻き込んでいくことにした。
手掛けたのは「会社の悪口アンケート」だ。匿名で会社の不満を書いてもらうと、辛辣な意見が相次いだ。「ここまで言うか」というものまであって心が折れそうになったがヒントがたくさん見つかった。

アンケートだけでなく、社員たちに質問も重ねた。するとぽつぽつと「もっとこうだったらいいのに」と本音をこぼしてくれるようになった。不満が集中したのは人事評価制度だった。1年がかりで一新した。縦割り感を強めていた部署ごとの小部屋を廃止し、フロアの壁をぶち抜いて横の議論をしやすくした。生産管理や帳簿もデジタル化を進め、女性社員だけがお茶汲みやゴミ回収をしていた習慣も変えた。

働きやすい会社にという思いは社外にも伝わり、1桁だった新卒の応募者数はいつしか3桁に。若手の割合が高まっただけでなく、女性の採用も増えた。21年には30年ぶりに女性の総合職も採用した。思いがけない形で継いだ会社だったが、知識がなくても情熱さえあれば、周囲が手を貸してくれた。80億円前後だった会社の売り上げも約90億円まで伸びた。

同じように後継ぎとなった女性同士のつながりも生まれた。キャリアが注目され、地方創生に向けた岡山県の有識者会議委員や岡山商工会議所青年部副会長も務める。性別にとらわれない職場作りの大切さを発信している。

母の助けを借りながら育ててきた娘は10歳になった。「ママの会社を継ぎたい」と意欲を見せ、その存在は活力になっている。娘のためにも、会社や地域を成長させ、憧れを持ってもらえるようにしたいと願っている。

(参考 日経新聞 令和7年9月8日より)