インドのバイブハブ・シシンティ氏はほぼ毎日、画像共有アプリ「インスタグラム」へテクロノジーに関する投稿をしている。ハイテク愛好者としての評判を築きたいという切実な思いがその源だ。そうした評判が自身の始めた新興企業「グロース・スクール」の専門教育コースにより多くの人を引きつけると考えている。2024年11月までは時間に余裕がなく、月に平均3本程度の動画しか作成・投稿できなかった。しかし現在は手ごろな価格の人工知能(AI)アプリを駆使し、投稿数を約25本まで増やしている。「我々は2人の編集者で全てをこなしている。そのうち1人はインターンだ」とシシンティ氏は話す。現在のペースを維持するには「AIがなかったら、少なくとも10人の編集者、3人の脚本家、そして数人の研究者が必要だ」という。
米オープンAIの生成AI「Chat (チャット)GPT」や米ヘイジェン(HeyGen)グーグルの動画生成AI「Veo(ベオ)3」といったアプリはグロース・スクールのような企業にとって画期的であり、少ない人員でより多くの成果をあげることが可能になる。ITに精通した国民と9億5500万人近くのネットユーザーを抱えるインドは、世界のAI企業にとっては魅力的な市場となっている。オープンAIは8月、ニューデリーにオフィスを開設する計画を明かした。同社にとってインドはユーザー数で世界2位の市場であり、月額約4ドル50セント(約660円)の格安サブスクリプション(定額課金)を始めたばかりだ。
しかし、グロース・スクールにとって恩恵となったものが、インド全体にとっては懸念すべき影響を及ぼしている。インドは質の高い雇用を大量に創出するため、長年テクノロジー業界に依存してきた。AIはそうした雇用の伸びを抑制する可能性がある。「AIは近い将来、雇用者を2種類に分類することになるだろう。AIを使って作業する人とAIを作る人だ」と人材紹介会社「トゥルーサーチ」のインド担当パートナー、リトゥパルナ・チャクラボーティ氏は言う。「そのどちらも当てはまらない人は間違いなく苦労するだろう」
AIはすでに、営業、財務、人事、ソフトウェア開発などさまざまな職種に影響を与えている。これらの職種は長年にわたり、インドの中間層を拡大し、国内総生産(GDP)の60%近くを占める個人消費をけん引してきた。仮にこれらの職が失われれば、約10年後に15歳から59歳の労働力人口が10億人に迫ると予想されるインドにとって、大打撃となるだろう。公式推計によればインドで定期的に給料を受け取る労働者の割合は24年3月時点で労働者の22%と、5年前の24%から減少した。
「バリューチェーンの上位に進むのに十分なスキルを持たない人々が影響を痛感することになり、経済格差が広がる」とオーストラリア・ニュージーランド(ANZ)銀行のインド担当エコノミスト、ディラジ・ニム氏は述べた。「中間層を停滞させ、より上位の階層への移行が難しくなる可能性がある」
グロース・スクールの売上高はこの1年で5倍に急増したにもかかわらず、営業担当者数は100人程度から30人まで減った。今ではAIエージェントが最初の営業電話をかけ、見込み客が購入に対して真剣な関心を示した場合のみ人間が代わって対応している。もっとも、まだ誰もが救難信号を発しているわけではない。「雇用創出の変化には長い時間がかかる。我々が現在想像もできないような仕事がいくつも生まれるだろう」人材派遣会社チームリース・サービシズのシニアバイスプレジデント、バラスブラマニアン・アナンサ・ナラヤナン氏はこう述べた。
AIを使った新興企業の一つが教育支援サービスの「キンジー(Kinzy)」だ。子どもたちが文字のプロンプト(指示文)や音声コマンドを使ってゲームを楽しんだり、ストーリーを作ったりできるアプリを開発している。キンジーは、構想から約2カ月でグーグルのアプリストアにアプリを公開した。チャンダン・シン共同創設者によると、雇用しているのはプログラマー2人とデザイナーの合計3人だけだ。AIツールを使って画像を生成し、グーグルなどの大規模言語モデル(LLM)でプログラムを作成した。「当社はプログラミングの90%を自動化した。何かを開発するのがかつてないほど容易になった」(シン氏)
シン氏の発言は、インドでもっとも人気の高い職業の一つであるソフトウェア開発者ですら将来の雇用が安泰ではないことを暗示している。インド最大級のソフトウェア企業タタ・コンサルタンシー・サービシズは「将来に備えた」組織になるため1万2000人近くを削減すると発表した。IT大手テック・マヒンドラのリチャード・ロボ最高人事責任者は「大学新卒者の採用数を減らしている」と明かす。「AIに対する基礎知識はあって当然だ。それ以外を採用する企業はないだろう」
(参考 日経新聞 令和7年10月5日より)
インド、AIで人員削減の波
