「強いドル」神話 岐路に

主要5カ国がドル高是正で強調した1985年9月のプラザ合意から40年。近年は歴史的な円安進行の裏側で、世界経済の好況時だけでなく、不況時にもドルに投資マネーが逃げ込む「強いドル」の時代が続いてきた。だがドル高是正を掲げるトランプ米政権の再来で、市場にはドル一極集中への不安が台頭。米国を中心に外貨資産投資に偏重しがちな個人投資家も注意が必要な時代を迎えている。

「私は『強いドル』を好む人間だが、『弱いドル』の方がはるかに多くの利益をもたらす」日米関税交渉が合意に達した今年7月。ドル安傾向について問われたトランプ大統領はこう返答した。9月に入っても、トランプ氏のドル高是正への意欲は衰えない。自身のSNSでパウエル米連邦準備理事会(FRB)議長に「考えていたよりも大幅な引き下げを」と圧力をかけ、ドル安につながる政策金利と大幅引き下げを強く要求。FRBは17日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で利下げに踏み切ったうえ、年内に2回の追加下げシナリオを描いた。ドル高是正を求め続けるトランプ政権の強硬姿勢に市場も敏感に反応。円相場は昨年までの1ドル=160円の歴史的な円安水準から、今年春には一時140円を突破。その後も概ね140〜150円程度の範囲で取引が続く。

歴史的な円安局面は完全に終わったのか。トランプ政権と円相場の関係をみると、興味深い共通点が浮かび上がる。2017年1月に始まったトランプ政権1期目。16年秋の大統領選から就任直後にかけ、市場は「トランプ・ラリー」に沸き立ち、米国株の上昇のつれてドルも大きく買われた。だがその後、状況が一変。ドルは売り戻されて任期終了まで1ドル=105〜115円を中心にした範囲での長期停滞相場に入り込み、就任当初のドル高相場に戻らなかった。トランプ氏がドル高是正を訴え続けてきたためだ。

そして25年1月に始まったトランプ政権2期目。今回も24年秋の大統領選から就任直後にかけてドルが大きく買われたが、やはりその後はドルが売り戻され、140〜150円程度を中心に取引されている。2期目もトランプ氏がドル高是正の看板を下ろすことはないく、1期目の相似形描くような停滞相場を招いている。揺らぐ「強いドル」神話。為替相場の急変に相場形成を先導するヘッジファンドはいち早く反応した。今年4月にかけてヘッジファンドなどの投機筋による対ドルでの円買い持ちは一時、過去最高水準まで膨らんだ。

ドル離れの兆候は、意外な場面にも表れている。市場で注目を集めたのは、ユーロの復権だ。ロシアによるウクライナ侵略後、ユーロ圏は地政学リスクやエネルギー不安に直面し、厳しい政策運営を迫られた。ところが25年に入ると、投資マネーが突然、ユーロへと流れ込み始めた。ユーロの対ドル、対円相場を見ると、ユーロは右肩上がりで上昇している。背景には、主要国のドイツなどが対ロシア政策で軍備増強にかじを切り、財政拡大路線に転じた影響もある。だがそれ以上に影響したのは、世界の投資マネーが「強いドル」を放棄した米国から欧州へと退避したことだ。

もはや「強いドル」は復活しないのか。円相場を動かす基本要因の金利差と需給差で考えてみる。まず金利差要因。円相場との連動性が高い日米間の長期金利差をみると、利下げ路線を続けるFRBと、利上げの機会をうかがう日銀の方向性の違いから、金利差は基本的に縮小傾向だ。日米金利差の縮小は円高・ドル安要因として働き、投資マネーはドルから円へと流れ込みやすくなる。需給差要因はどうか。企業取引に伴う為替売買を映す日本の貿易・サービス収支の推移をみると、昨年までは大幅な赤字が続き、歴史的な円安を支える要因として機能した。ところが昨年後半から今年にかけて、需給差に変化の兆しが表れ始めた。一時高騰していた資源価格が落ち着いてきたためだ。今年は中国の春節(旧正月)などの特殊要因が表れる1月を除き、黒字と赤字の月がほぼ拮抗する。

金利差が円高・ドル安方向に作用し、需給差もそれを妨げない。円相場の基本要因からも円高・ドル安方向に傾きやすい現状は、トランプ政権のドル高是正姿勢と相まって「強いドル」の屋台骨をぐらつかせる。為替市場を長く見てきたマーケット・リスク・アドバイザリーの深谷氏は「年内はFRBの利下げに基づく日米金利差の縮小が意識され、緩やかながらも円高・ドル安に振れやすい地合が続く」との見立てを示す。

「強いドル」の動揺は、個人の資産運用に不安を投げかける。財務省の大概証券売買契約等の状況によると、家計の外貨資産投資を映す国内の投信運用会社や資産運用会社による海外株・ファンドの買越額は今年1月、1兆6000億円台に急拡大。新しい少額投資非課税制度(NISA)の運用対象は米国株を中心とした投資信託が中心で、年初以降の円高進行は運用成績の悪化を招きかねない。

外貨投資のリスクを抑えるには、分散投資の考え方が有効だ。ドル資産だけに偏らせることなく、ユーロなどの他通貨の資産に振り分けてドル安に備える。特に主要通貨同士のドルとユーロは相反する値動きになりやすく、一定のリスク分散効果を見込める。今後は資産運用を考える上で、「強いドル」の動揺を念頭に置いて考える姿勢が必要だろう。

「強いドル」の動揺は、やはり金相場の前代未聞の最高値に象徴されるのではないか。ドルの信用低下から金への買いが集まっている現状があり、今後もしばらく続くと思われる。今後は上記のようにドル一辺倒のリスクからリスク分散して投資していかなければならなくなることを念頭に置きながら投資をしていくことが求められる時代になってきたのかもしれない。

(参考 日経新聞 令和7年9月27日より)